605回 新年ご祈祷 大森宮司 様

605回 新年ご祈祷 大森宮司 様

第605回
令和2年 1月 7日(火) 午前6時~7時
●場所 北宮諏訪神社(新年ご祈祷)大森 宮司 様
◆北宮諏訪神社 概要◆
北宮諏方神社、創建は室町時代の永和元年(1375)に会津地方を中心に勢力を広げた、芦名氏の7代目当主芦名直盛が、信濃国諏訪郡の諏訪大社(信濃国一之宮、諏訪信仰の本社)の分霊を勧請し、社殿を建立したのが始まりとされます。芦名氏は鎌倉時代初期に会津4郡を与えられた佐原義連の後裔とされますが、実際に会津地方に土着したのは芦名直盛とされ、その直盛が領内を整備する際に本城となる黒川城(当時は東黒川館、後の鶴ヶ城)の北方に諏訪神社を創建した事は興味深いところです。その後は芦名氏の庇護となり、室町時代後期の天文 7 年(1538)には 16 代目当主芦名盛氏により再興され、社領千苅が寄進されますが、天正 18 年(1589)、摺上原の戦いで伊達政宗に敗れた芦名義広は常陸国(現在の茨城県)に逃れ、諏訪神社もその兵火により社殿、社宝、記録などが焼失し衰微しました。 その後再興され、慶長 3 年(1598)に会津鶴ヶ城 120 万石で入封した上杉景勝からは諸役免除の 證文が発布されています。寛永 18 年(1641)に現在地に遷座、寛永 20 年(1643)に保科正之が 会津藩に入封すると、保科家、その後裔の松平家の祈祷所となり篤く庇護されます。 北宮諏方神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、張間2間半、正面3間 向拝付き。本殿は一間社流造、銅板葺き。 会津若松の諏訪神社を南宮と呼ぶのに対し、喜多方は北方にあることから北宮と呼ばれ、北会津の 総鎮守としても周辺地域から広く信仰され例際(毎年 8 月 2 日~3 日)には多くの人々が参拝に訪れます。